濁りの存在を織り込んでおく

濁りの存在を織り込んでおく
世の中において、
良いものだけで満たそうとすると、
良いものの有り難みは下がってしまう。
と思っています。


そこで「全体として」という考えが、
とても大切になってくると思っています。

「良いもの」の存在を支えるためには、
「良いもの以外」が必要だということ。

そう、
世界は持ちつ持たれつってこと。

シンガポールと聞いたら、
何を思い出しますか?

・綺麗な街
・ゴミを捨てると罰金

みたいな非常に清潔で綺麗な街を
イメージする人は多いと思います。

でも、
それはシンガポールの一側面しか捉えていません。

一度シンガポールに行った時に、
地下鉄のアルジュニード駅周辺に宿を取り、宿泊しました。

友人に会いに行くのが主目的でした。

例に漏れず、
僕もシンガポールはどこに行っても綺麗と思っていました。

チャンギ国際空港に着くと、かなり綺麗で、予想通り。

そして地下鉄に乗り、
アルジュニードへ着くと。。。。

まさに混沌としたアジアでした。

道にゴミは落ちてるし、
なんか町中ドリアン臭いし、
昼間からお姉さんが立ってるし、
宿泊したホテルは連れ込み宿だし。。。
屋台で街の写真を撮っていたら、

おねえさんが写ってないか怖いおじさんにチェックされたり。。。

その町は後から友人に聞いたら、
歌舞伎町的なところだったらしい。

汚いとは思いつつも、なぜかホッとしました。

すべてが同じように綺麗というのは、
おそらく無理なんだと思う。

だって、自然じゃないから。

綺麗なところもあって、汚いところもある。
その方が、落ち着く。(私の場合ですが。。。)

この汚なさを体験してからの、
翌日に市街地に行くと綺麗。

綺麗の有り難みさえ感じる始末。
それは世界が相対的なものだとこと?

多分そう。

この切り抜きにもあるように、
色んなものがざっくりとあって、
色んな人から色んな角度や範囲で許容される世界。

そういった奥行きのある世界が、
自然の流れにあっているのだと僕は感じています。

理想と違う世界だからダメ、
思ってたいたのと違うからダメ、
と言ったって、
世界はあるがままにあるだけ。

だから世界というのは、
濁りを含んでいるものとして捉えておいて、
その上でどうやっていくのかを考える方が、
理に叶っているだけでなく実りがあるように思っています。