時間について

時間について
時折、経営者が集まる勉強会に参加させて頂いています。

その時に時間についての考え方の講義があり、
個人的には衝撃的な内容でした。

この「時間」についての考え方は、
非常に分かりやすく、新しい視点が得られましたので、
自分なりに整理してシェアしたいと思います。

そしてその学びは、
以前に紹介したニーチェの言葉に集約されます。
http://kurosakalibrary.com/2018/05/31/post-176/


では、時間と解釈について
学んだ内容を書きたいと思います。

概して、
時間というものは捉えづらいものです。

それは、
重さや長さのように、
時間はいわゆる物理量に
関連していないからだと思う。

要するに、
重さや長さのように
「はい、これくらいですよ!」
とは、目の前で見せられない。

そのためか、
時間への人類の関心は高い。

重さや長さには、
国際的にはグラムとメートルという単位が与えられています。

一方で時間の単位としは、
秒、分、時(時計での単位)
日、週、月、季節、年(カレンダーでの単位)
と、すぐにこれだけ思いつきますし、
未だにこれらが使用されています。

時間のことを話すときには、
よく「時間の流れ」という表現を
聞いたり、話したり、すると思います。

歴史の年表や時系列グラフといった
時間を表すものに触れてきた経験から、
「時の流れ」は過去から未来に流れていると考えている人が多い。

それは、
「過去→現在→未来」のように連続した一本道と
思い込んでいるからだと思います。

過去から未来へ向けて自分が動く感覚があり、
それ故に過去から未来へ時が流れると感じるのだと思う。

でも実は、
時は未来から過去に向かって流れている。

私たちが知覚できるのは、、、

今この瞬間しかない。。。

「今この瞬間」に
どんどん未来が流れ込んできて、
「今この瞬間」にそれを体験し、
後ろにどんどん過去ができていくといったイメージです。

だから、違う言い方をすると、
「今この瞬間」という場所に
私たちは常にいることになります。

ご存知の通り過去は、
「過ぎ去った」もので、
そして「思い出す」ものです。

一方で未来は、
「未だ来ていない」もので、
そして「思い描く」ものです。

そして過去と未来を考えることにおいて、
大切なのに忘れがちなことがあります。

実は、
過去も未来も色のない世界ということ。

何が言いたいかというと、
「今この瞬間」に
過去を「思い出す」、
未来を「思い描く」
ことによって着色・脚色しているんです。

例えばですが、
今、土用の丑の日は鰻を食べに行くと、
未来を思い描いたとします。

翌日、未来を思い描いたので、
実際の行動としてお店に足を運んだ、
という現実が生まれます。

実際にお店に着くと、
すでに売り切れてしまっていて
「食べれなかった」とします。

後日、
友人があの日食べた鰻の自慢をするので
自分は食べられなかったので、
悔しいな」と感じる。

これは「食べられなかった」ことを
「悔しかった」と脚色しています。

そして、さらに数日後、
その店では丑の日に食べたお客が
食中毒にかかったとのニュースを見ると、
「食べなくてよかった」と思いますよね。

「食べられなかった」という事実に対して、
「悔しいな」→「食べなくてよかった」と
脚色がかなり変化するんです。

このように過去で起きた事実(体験)、
そして「思い描いた未来」に対して、
今この瞬間において自分に都合の良いように、
脚色していることがわかると思います。

ここでの大切なポイントは、
過去も未来も頭の中にしかないということ。

「今この瞬間」を除いては、
すべて脳内での出来事ということです。

だから、
「今この瞬間」が一番大切になります。
現実は今しかないのですから。

過去が良くなかったとか、
今スキルがないから将来も無理だ、
とか、すべて脳内での話なんです。

僕たちは、
過去や未来というスクリーンに
写し出されている人生に登場する
キャラクターが自分自身だと思い込んでいます。

そのスクリーンは現実世界の話ではなく、
脳の中だけでの世界なのに。

僕たちは、
スクリーンで動くキャラクターではなく、
キャラクターを動かすプレイヤーであることを
忘れてはなりません。


僕たちプレイヤーは過去と未来から離れた
「今この瞬間」にいます。

そこからプレイヤーを自在に操るんです。

決して僕たちはキャラクターではない
ことを思い出して欲しいなと思います。

僕たちプレイヤーのいる
「今この瞬間」でもっとも大切なのは、
五感をフル活用して「体感」すること。

美味しい!
嬉しい!
楽しい!
ワクワクする!

とにかく今を生きるということ。

過去も未来も自分で色を塗ったり
塗り替えたりできるのですから。


この世界は解釈でできているのだと思っています。